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2014年7月17日(木) 「市民自治」をもっと知ろう会

「市民自治」をもっと知ろう

統治、自治、自治体、市民自治について,聴こう・話そう・考えよう

ちらし

7月17日(木)
練馬区民・産業プラザ(CoConeri)3F
区民協同交流センター 研修室
13:15開場 13:30~16:00 会場費200円

日常生活の中で政治に疑問をもつことは、多くの人が経験しているのではないでしょうか。
地域行政の問題から国政に関する問題まで、意外に身近にあるものです。
水俣をはじめとする公害問題、道路建設問題、保育所問題、高齢者介護問題、障がい者自立問題、
社会保障問題、原発問題、さらには選挙の一票の格差問題、特定秘密保護法案のごり押し採決、
多くの反対の声の中での集団的自衛権の閣議決定、などなど枚挙に暇がありません。
日本国憲法によれば、市民は、選挙で選んだ国会議員を通し政府に国政を信託し、
自治体の首長と議会に自治体行政を信託しています。私たちは、
国や自治体政府が市民に不利益になる施策をやめさせる権利を持ち、
よりよい施策を請求する権利を持っています。

2014年7月30日第70回 VIDEO ACT! 上映会

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■ 第70回 VIDEO ACT! 上映会 ■
~セクシャル・マイノリティの恋と悩み~
http://www.videoact.jp
http://videoact.seesaa.net/++
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■2014年7月30日(水)19時より

【上映作品】
『ココデナイドコカ』(2010年/日本/カラ―/64分)
監督:中川あゆみ
撮影:外山泰三
音楽:world’s end girlfriend、Filastine、koomoon

■解説
ある日弟から、セクシャリティについて打ち明けられたのが、作品が生まれるきっかけです。
家族の誰にも言えず、自殺を考えるほど悩んでいた彼を理解したいとカメラを回し始め、
完成に8年を要しました。東京に暮らす、27歳のセクシャル・マイノリティの
日常を描いたドキュメンタリーです。
同棲していた恋人との別れ、ファッションデザイナーを夢見ての就職活動、
母との確執、プライドパレードなど日常の中で揺れる弟の姿を追いました。
30人に1人いるというセクシャル・マイノリティの人々が、
日頃どんな葛藤を抱えているか知るきっかけになれば嬉しいです。
(監督:中川あゆみ)

2014年7月17日(木) 『素人の乱』上映会

希望のまち東京in東部『素人の乱』上映会の案内です。
希望のまち東京in東部第12回市民カフェではドキュメンタリー映画『素人の乱』上映会を開催します。『素人の乱』(中村友紀監督、2008年)は若者の自立支援・まちづくり・選挙・住民運動による法律への抗議などをテーマとした映画です。上映後は映画のテーマについて話し合い、希望のまち東京in東部の活動のヒントにします。どなたでも参加できます。

日時:2014年7月17日(木)午後6時開場、6時半開始
場所:希望のまち東京in東部事務所
住所:江東区東陽3丁目21番5号松葉ビル202号室(1階がお寿司屋さんの建物の2階です)
最寄駅:東京メトロ東西線木場駅徒歩4分、東陽町駅徒歩6分、東陽三丁目バス停留所徒歩1分
参加費:無料。カンパ大歓迎。
http://www.hayariki.net/tobu/
【映画紹介】高円寺の商店街にそれぞれ店を持つ若者達から自然発生した「素人の乱」。 リサイクルショップ店主の松本哉を中心に、ネットラジオ配信や地域活動などを通して生活圏に根付いた独自の文化を築いている。上からの一方的な規制や弾圧に対し、「街を遊び場に変える」という発想から、区議選を利用したある作戦を思いつくが、、、。DIYの力強い意思と、ダイナミックな活動に血湧き肉踊るお祭りドキュメント!

2014年7月5日(土) 第27回月1原発映画祭/交流カフェ「A2-B-C」上映+ゲスト:イアン・トーマス・アッシュ監督開催報告

7/5、第27回月1原発映画祭が終了しました。
前日の東京新聞夕刊に上映作品の「A2-B-C」と
監督インタビュー記事が大きく載ったので、対応に大わらわ、
満席でお断りした方には申し訳なかったです。
7/26にレイバー映画祭で上映されますので、
未見の方、ぜひお出かけください。
http://www.labornetjp.org/news/2014/0726eiga

この映画、ほんとうは日本中のお茶の間でみて、共有したい内容です。
甲状腺検査で見つかったのう胞などが
原発事故と関係あるのかないのか、
それがきちんと証明されるのは先のことかもしれませんが、
現に診断された子どもたち、その親たちは不安を抱えたまま
毎日を暮らしている、将来の心配をしている。
これは誰が何と言おうと今の福島(日本)のひとコマなのだということが
ずしりと伝わってきます。
イアン・トーマス・アッシュ監督は
「原発事故との因果関係がわかってからでは遅い。
あとになって、もっと子どもたちを守ればよかったと後悔するより、
あの時は心配しすぎたねと言うほうがいいじゃないですか」
と話されていました。
イアン監督はご自分の感情をまっすぐに語りながらも
言葉や物腰がとても奥ゆかしく、
映画の中で子どもたちやお母さんたちが心をひらいていたのが納得です。

2014年7月5日(土) 「国立さんを囲む会」

●「国立さんを囲む会」
やねせんネットに解説あります。
http://www.yanesen.net/topics/detail.html?id=847
可能であれば、青色を身につけ、現競技場を人間の鎖(800人で一周)囲みましょう。
「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」は、明治公園南西側(都営アパート寄り)にすてきな横断幕を
用意しています。
日時:7月5日(土)15:00集合
場所:明治公園(国立競技場の南西)
地図:
http://urx.nu/9EL0
問合せ先:facebook→
http://urx.nu/9EKO
詳細→
http://kokuritsu.sakura.ne.jp

2014年6月7日(土) 除染情報手渡しの会

●除染情報手渡しの会
文京区の社会福祉協議会は、事故直後から近隣に避難されている方々の交流の場
‘おちゃっぺ会’を定期的に開催されています。この中から、私は除染情報を避難されている
方々にお届けしたいと考え、谷根千・駒込・光源寺隊を中心に会を準備いただきました。
このたび谷根千震災字報に掲載されました。
http://311.yanesen.org/

2014年7月3日(木) 希望のまち東京in東部第10回市民カフェ

希望のまち東京in東部第10回市民カフェ
江東区の林田力です。希望のまち東京in東部第10回市民カフェの案内です。どなたでもご参加できます。

▼とき:7月3日(木)PM 6:00〜8:00
▼場所:「希望のまち東京in 東部」事務所
(江東区東陽三丁目21-5 202号室。地下鉄東西線木場駅歩4分。東陽町歩6分。都バス東22系統、都07系統「東陽三丁目」下車歩1分)
▼内容
若者の自立支援政策を目的とした、空き家の実態調査とそれに基づく施策の検討
上記の各所への働きかけ
その他

私たちはシェアハウスに孤立防止というメリットも見出していますが、自殺問題に関して興味深い一説がありましたので、引用します。

「『地域の人が集まって交流する』という、そんな程度のことさえ失われてしまっているのが地域社会の現実であり、そこにこそ、日本の自殺問題の本当の深刻さ、根深さがある」(杉原学「自殺予防における「地域の“つながり”の再構築」が果たす役割」立教大学大学院21世紀社会デザイン研究『21世紀社会デザイン研究』第10号、2012年、128頁)
http://www.hayariki.net/tobu/

2014年7月17日(木) 「市民自治」をもっと知ろう会

憲法9条の解釈を変更し、集団的自衛権行使を容認する閣議決定が、今夜にも行われようとしています。
まさに政府による平和的生存権の破壊です。
私たちは、政府によって統治される民として、政府の命令に唯々諾々と、従わねばならないのでしょうか。
日本国憲法によれば、私たち日本の市民は、選挙で選んだ国会議員を通して、政府に国政を信託しているのです。
私たち市民は、政府が市民に対して、害のある施策を行うことがあれば、それを阻止する権利を持っています。
私たち市民は、統治される民としてではなく、自立した人として市民的自治政府を創ることができます。
「国家統治」型政府から「市民自治」型政府へ移行しなければ、政府による暴挙は何度でも繰り返します。
「市民自治」を確かなものにするために、「市民自治」について語り合ってみませんか。

「市民自治」をもっと知ろう会

日時 7月17日(木)13:30~16:00
場所 区民協同交流センター 研修室 
   練馬区民・産業プラザ(CoConeri)3F
   西武池袋線・地下鉄大江戸線 練馬駅前)
第一部
 語り部たちによるお話し
  語り部 森啓さん 元北大教授(公共政策論)、北海学園大学法科大学院教授(自治体学)、その他
      上原公子さん 元国立市長
      池尻成二さん 前練馬区議会議員

2014年6月7日(土) 第26回月1原発映画祭/交流カフェの松村直登・藍原寛子対談動画

2014年6月7日(土)に開催した、第26回月1原発映画祭/交流カフェの松村直登・藍原寛子対談の動画を公開しました。

YouTubeへのリンク

こちらの動画は、今回のゲストの松村直登さんを主人公として描かれた「原発20キロ圏内に生きる男」の上映を行った後に行われた、松村直登さんと藍原寛子さんの対談の様子です。

※松村さんの名前を「村松さん」と何度か言いまちがえました。
ごめんなさい!!(藍原寛子)

2014年4月5日(土) 第24回月1原発映画祭+交流カフェの報告

第24回月1原発映画祭では、騎西高校に避難した双葉町民のドキュメンタリー映画「原発の町を追われて 避難民・双葉町の記録」を上映するとともに、同映画監督の堀切さとみさんをお招きしてお話をお伺いしました。

堀切さんが夜の部だけでなく昼の部にもお越しくださったので、昼のほうでもも上映後トークと質問タイムをお願いすることができました。
旧騎西高校避難所の最初の1年を記録した正編、県内避難の町民と騎西高校避難の町民の分断・対立があらわになっていく続編を観て、さらに堀切さんのお話をうかがうと、年を追って問題が深刻に複雑になっていくことがよくわかります。
堀切さんは、さいたま市で学校給食調理の仕事をされながら、避難所に通いつづけてこの映画を制作されました。
一市民の目で取材・撮影し、率直な言葉で語る堀切さんの姿勢に共感した方が多かったようでした。

堀切さとみさんのお話

みなさま、こんばんは。本日はお集まりいただきありがとうございます。堀切さとみと申します。埼玉県さいたま市からまいりました。わたしは給食の調理士として小学校で働いています。
震災があり、原発事故から一週間くらいたった2011年3月下旬に、南相馬、大熊、双葉、富岡、浪江といった福島県浜通りからたくさんの人びとがさいたまスーパーアリーナに避難してきました。放射能のことを考えると、自分自身このまま埼玉にいていいのかという不安がありました。そこへ浜通りのかたがたが避難なされてきたので、彼らと出会って話を聞きたい、この大変さを共有したいという強い思いがこみあげてきました。炊き出しのボランティア以上に自分になにができるかと考えてみると、とにかくもっと人々の話を聞きたいと思ったこと、そして、以前からドキュメントリー映画が好きで、2008年に市民メディアセンターというところで映像を学んでいましたので、記録として残すことはできないだろうかと思いました。これが「原発の町を追われて 避難民・双葉町の記録」を撮影することになったきっかけです。

本編には双葉町の人びとが騎西高校で生活する様子が記録されています。騎西高校の避難所が閉鎖されるまでの2年9か月、みなさん教室にたたみを敷いて和室をつくり、その部屋を段ボール等で区分けして複数の世帯が共同で生活していました。騎西高校はあくまでも一時避難所としての機能です。プライバシーがありません。お風呂も学校内にないので、銭湯にかよいます。食事は朝昼晩の3食ともお弁当が配られました。ふつうのコンビニで売られているようなお弁当です。学校設備として給食調理室がありましたが、埼玉県が避難している人に対して校内での火器使用の許可を最後までださなかったため、自分たちで調理をして食事をとるということができませんでした。お弁当ではカロリーが高すぎたり、栄養がかたよってしまうと考える人、逆に、高校に長居するつもりはないからお弁当でよいという人や、食事を自分たちでつくることになれば、当番を決めたりするのにもめるだろうと考える人もいて、それぞれの受け止め方がありましたが、やはり食事をつくることができないというのが一番苦しいと訴えていました。

騎西高校には毎日たくさんのボランティアの方々、慰問の方々がおとずれて、イベントが開かれ、食べ物が配られていました。ご高齢のみなさんは双葉町にいたころ、農作業をしたり、手仕事をしたりして、毎日暮らしにちからがあったといいます。しかし騎西高校に避難していると、毎日何もすることがなく、張り合いのない長い一日となっているとおっしゃっていました。朝起きて、お弁当を取りに行き、食事をして、洗濯物をとりにいったらそのあと何もすることがないという暮らしです。「ここには自分の暮らしはない」とおっしゃられている方もいました。こんななか、校舎の一室で書道教室をひらいた書家の方もいらっしゃいます。老若男女がこの小さな学び舎につどいました。近くの借り上げ住宅に移られたご高齢のかたがたは、車で迎えにきてもらわないと騎西高校のサロン(談話室を兼ねたカフェ)に出かけていくことができない状態です。

若い方々、働き盛りの方々は毎日埼玉で仕事を探しておられました。わたしは埼玉県民ですが、埼玉で仕事を見つけるのは、わたしたちでも難しいのです。仕事がなければ生活はどうする?お金はどうする?というふうになり、埼玉ではなかなか仕事が見つからないので、福島県にもどり、隣接したいわき市に居住して、そこから原発内の工事や除染の仕事をするという人々が多くなっていました。原発のために忠実に何十年も働いてきたのは地元の人間です。事故が起こって遠くの知らない土地へ避難しても、仕事を探して福島に帰り、戻っても仕事がないので、再び原発関連の仕事をするしかないというのが今の現実です。これまで原発で働いて、さんざん被ばくしてきているのだから、今さらそれほど考えなくてもよいという人がいます。以前、被ばくというのは原発内の仕事でごく限られたところでだけおこったことでした。事故後の福島では一般の住民を巻き込んだ生活領域全般で被ばくが起こっています。この点が事故後大きく違ってきているところです。福島に帰り、とりあえず原発の仕事がある。とりあえずはなんとかなる、しかし、これで終わってしまいます。原発とともに生きてきた双葉町民はこれだけの事故があってもなお、原発とは切っても切れない関係であるということころがとてもせつなくひびいてきます。

また、外部からは「精神的慰謝料」として東電から月々お金をもらっているのだから、別に働かなくてもいいじゃないかという意見もでています。しかしこれも単にお金があれば働かなくてもいいという問題ではありません。仕事やいきがい、つまり人間が生きいていくうえでの原動力となる部分がとりあげられている状態です。これまでなんらかの仕事をしてきた人々にとっては、精神的にかなりきつい状況であると思います。

双葉町にかぎらず、原発のある町の人びとは、原発が事故をおこしたとしてもなかなか原発に反対することができないのではないか、反対しにくいのではないかと思います。
福島原発の事故後、加須市に双葉町民のみなさんがいらしたとき、とても遠慮がちにくらしておいででした。加須が自分たちの地元ではないということでそうであったのかもしれませんが、ひかえめに、お世話になりますという感じでした。
たとえば双葉町にいたときには町民が東電からいろんな名目で手当をもらっていたという事実があります。福島のなかで原発についてなにも恩恵をうけてこなかった自治体も放射能汚染地帯となったため、双葉町民にはなおさら「自分たちは長年東電からお金をもらってきて、恩恵もあったのだから、このような事故にあってもなにもいえないのではないか。自業自得ではないのか。なにも言ってはいけないのではないか。」という引け目やジレンマがあるように感じました。わたし自身は彼らの姿を見て、復興のためになんとか声をあげてほしいと思っています。映画を撮ることにより、人々の感情の変化を感じました。

事故後3年がたち、風化が進んでいます。しかし、震災・原発事故の大変さは3年たってからというそうです。実際、仮設住宅でも自殺する人や孤独死が増えています。原発がもたらすものはなんなのかということです。本日は上映していただき、たくさんのかたがたにご覧いただけたことに感謝いたします。ありがとうございました。

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