2013年4月6日(土) 第12回 月一原発映画祭「フタバから遠く離れて」アンコール上映会のご報告

第12回 月1原発映画祭「フタバから遠く離れて」アンコール上映のご報告

~2012年11月、私たちはこの「フタバから遠く離れて」を、谷中コミュニィティーセンターなど3か所で上映しました。たくさんの方が足を運んでくださり、その結果出た収益のもっとも有効な使いみちを検討した結果、この映画をさらに多くの方に観ていただき、考え、語り合うために使おうと決めました~

4月6日(土)いつもの「谷中の家」に舩橋淳監督を迎え、2回の上映と、その間に「監督のトーク」「交流カフェ」をはさむ形で、アンコール上映をしました。
今回初めて午前中からの開催とし、夕方にはすべて終わるスケジュールを組みました。
それは、偶然にもこの夜、前双葉町町長の井戸川克隆さん(この映画にももちろん登場されています)と、前日弁連会長の宇都宮健児さんの対談が渋谷で行われることになったからです。

この日は、低気圧の通過で荒れ模様になるという予報が出ていました。心配して朝を迎えましたが、雲の流れは速いものの、とりあえず開場の10:30に雨粒は落ちていませんでした。長野県や福島県からの参加者も含め30名を迎えて、11:00から1回目の上映が始まりました。

原発事故後、町全体が警戒区域となった福島県双葉町は、250km離れた埼玉県の旧県立高校へ役場ごと避難しました。「フタバから遠く離れて」は2011年春から9ヶ月間、避難された町民の日常を丁寧に追った記録です。
映画の始まり、原発が爆発した映像のあと、桜の花が大写しになります。東京はちょうど桜が散ったあとだったので、2年の時の流れや、人間社会の出来事とは関係なく季節が巡ることを改めて感じました。

1回目の上映は12:45頃まで続きましたが、11:30には会場の外で、監督トークからの参加者の受付を始めました。雨は時々ポツリと落ちる程度で、まだ天気は持ってくれそうです。
5分の休憩の間に新しく参加者を迎え、35名ほどの方が参加して舩橋淳監督のお話を聞きました。プロデューサーの橋本佳子さんもいらしてくださいました。以下、監督のお話です。

130名弱の方々が今も旧騎西高校の校舎で暮らし、3食お弁当を食べる生活を続けています。今では日本で唯一残った避難所となりました。このことを知っている人が、今の日本でどれだけいるでしょうか。
この映像は2011年の春に撮り始め、12月に事故終息宣言が出された時を一区切りとしてまとめました。当初は11時間に及ぶ映像でしたが、それを96分にまとめました。

今日はいくつかのキーワードを元にお話したいのですが、ひとつめは「距離と時間」です。
2年の間に政権も変わり、担当の大臣も変わりました。けれども放射能はそこにずっとあるのです。
どういった視点でアプローチしようかと考えた時、観る人が「あたかも自分が避難所で暮らしている」かのように感じられる映画にしようと思いました。
避難した人達も最初はどこかの旅館にでもいるかのように感じたそうです。しかしだんだんにその生活が日常になっていく。そんな時間の重みを描きたかった。

双葉町を選んだのは「もっとも遠くに避難した町」だったからです。東京の自宅から2時間かけて埼玉県加須市に通いました。
東京で自分が使っている電気は、双葉から送られてきていた。双葉の人はその電気を使っていなかった。なのに、事故が起きて双葉の人が避難している。僕たちが使っている電気のために双葉の人々が避難を強いられているのです。
これはあまりにも不公平ではないかと。

原発は1960年代にアメリカより輸入され始めた時から、低人口地帯に配置されました。最初から地方に犠牲を強いるシステムでした。
人間は、自分の周り5メートルが幸せならそれでいいと思ってしまう生きものです。
双葉では雇用が生まれ、交付金が入り、立派な施設が建った。東京では(どこから来たのか分からない)電気が、使いたい放題。表面的にはウィンウィン(どちらもハッピー)な関係に見えました。
しかし安全神話というカーテンの奥には、事故のリスクが隠されていて、それは地方だけに背負わされていたのです。

このシステムに依存してきた東京の私達は、意図していなかったけれど、加害者なのです。
「我々も当事者。この原発事故を忘れず、何ができるかを考えるのは我々の義務」なのです。

茨城県東海村には、東京から一番近い原発があります。村上村長は脱原発を宣言していますが、そんな村でさえ町議会議員は9対7で再稼働に賛成だそうです。「原発をなくしたら雇用はどうなる? 国が安全といえば安全だ」という。
福井県大飯町の町議員の中にも「再稼働に反対する東京の人はうるさい。ほっといてくれ」という人がいる。
このシステムをひっくり返すのはとても大変なことです。

「距離と時間」が隔たると、人間は無感覚になる。それをうまく利用したのが原発という犠牲のシステムなのです。

ふたつめのキーワードは「俯瞰する感性」です。

原発・エネルギー問題には争点がいろいろあります。が、いずれにしても、事故のリスクは全国の原発立地地域に広がっています。最低限、この不平等をなんとかしなければなりません。
雇用がなくなるといっても、それはこの30年~40年の問題です。一度事故が起きれば、受け継がれてきた1000年の歴史や、家系の継承が失われてしまう。
短期的な問題と長期的な問題を「俯瞰する感性」が必要です。
失われる長期的な価値も含めて、賠償の議論を進めていかなければならない。しかし政府や東電は議論をさせないようにしています。

双葉町は今まで(井戸川町長時代)除染をしていません。他地域の除染を見て、本当に有効だと分かったら、その中で一番いいやり方でやろうとしています。除染は環境省の担当、賠償は内閣府の担当。そんな縦割りの弊害が、更に賠償を遅らせています。

舩橋監督は今も双葉町の記録を撮り続けています。トークの最後に、2014年公開予定の続編「FUTABA UPDATE」(仮題)の3分予告編を見せてくださいました。前井戸川町長のジュネーブ国連人権委員会でのスピーチ、不信任案を出されての退任の様子など、心に迫る映像でした。
なお、現在双葉町長は伊沢史朗氏に代わり、旧騎西高校避難所は13年6月末に閉鎖が決まったとのことです。

ここで20分ほどの休憩を取り、部屋の中をカフェ形式に模様替えしました。カフェの参加者は30名ほど。ゆっくり乾杯する暇もなく、1:45頃交流カフェスタートです。メニューはワインとハーブティー、ミネストローネとフランスパンです。
以下、参加者や監督の発言をご紹介します。

(茨城からの参加者)
地元つくば市には、福島から450人ほどの方が避難されてきています。故郷に帰れると思っている方はほとんどいないようです。

(舩橋監督)
茨城県東海村でこの映画を上映して、村上村長を元気づけようと思っています。
今「フタバから遠く離れて」のメーリングリストに登録してくださる方を募集しています。双葉町の状況などお伝えしますし、続編を作るために力を貸してほしいです。
(監督が回覧されたリストに、たくさんの方がメールアドレスを書き込んでいました。このメーリングリストに参加されたい方は、info@nuclearnation.jp 宛に、「ML参加希望」とお名前を書いて送ってください)

(墨田区からの参加者)
二本松市出身です。井戸川前町長は正しいことを言って煙たがられてしまった。極論ですが私は「福島に来ないでほしい。福島の物を食べないでほしい」と言いたい。どうしてかというと、他県の人が旅行に来てくれたりすると、福島はもう安全なんだというイメージが広がってしまうからです。「風評被害」という言葉はおかしい。私は「正しい消費者判断」だと思っています。今日は夜の宇都宮×井戸川対談のアピールに来ましたが、対談に来られなくても、ちらしの裏にある「ジュネーブ市長から井戸川さんへの手紙」は必ず読んでほしいです。(こちらのHPで読むことができます。http://rollienne.jp/?p=340 )

(いわき出身の参加者)
人気アニメ「サザエさん」のオープニングは、今月から福島県とタイアップして名所を紹介、放射線量の高さが心配されている花見山公園などをサザエさん一家が旅行するようです。これでいいのでしょうか?

(監督)
被ばく問題において、国は国民を守っていません。ただ被害を小さく見せて、賠償額を低く抑えようとしているのです。1950年代の広島も同じだったようです。
放射能の影響下にいる福島の子ども達と、その他の地域にいる子ども達は、法の下に平等と言えるでしょうか? 症状が出るか出ないかの問題ではありません。

(台東区からの参加者)
柏市などのホットスポットの子ども達にも健康調査を求める署名を集めています。ご協力お願いします。(情報はこちらから http://kodomokanto.net/)

(同じく台東区からの参加者)
大切なことは3つ。①自分の周りの人に話をすること。②語れるような自分になること。③相手の心に響くように語ること、だと思います。

(国立市からの参加者)
原発事故前は、井戸川前町長は原発推進派でした。その内面の変化を知りたいのですが。

(監督)
確かに前町長は推進派でした。
11年の3~4月の頃は何か聞いても、何も答えてくれなかった。後で聞いたところ、国に対して配慮をしていたということでした。国がなんとかしてくれるんじゃないかと思っていた。けれど国は20msvまで許すとか、避難民のことを一番に考えているのではないことがだんだんにわかってきた。7~8月になると、「国に対してものを言っていくよ」と宣言されたのです。

(長野県からの参加者)
8月5日に軽井沢でこの映画を上映し、監督にもいらしていただくことになっています。
軽井沢文化協会主催です。この会は、浅間山に米軍の演習場を作る計画に反対したことをきっかけに生まれました。
映画を見て、大戦時と原発事故の「同じと違い」について考えました。私は3月10日の東京大空襲も経験しています。何もかも失くし大変な時代でしたが、1945年の8月16日からはすべてが変わった。原発事故の被害者の方々は、何もかもを瞬間的に奪われ、そして今も先が見えないのですね。今日は考える材料をたくさんもらいました。

(監督)
私も映画の取材を通して考える材料をたくさんもらいました。あふれ出るものがいっぱいあって、文字にしたい、本を書かせてくれと。そしてこの本が生まれました。
監督の本は「フタバから遠く離れて――避難所からみた原発と日本社会」(岩波書店)2012.10

(新聞記者OBの参加者)
福島県では地元がズタズタになり、家庭内のもめごとがとても多いと弁護士から聞いています。
井戸川さんを追放した双葉郡の8町村首長会の首長さん達も、お会いしてみると皆良い方です。シロ・クロと決めつけずに見てほしい。
大事なことは、「ズタズタになった人々をどうすればつないであげられるのか」ということだと思います。

町田からの参加者の「どうせ避難するなら西日本がいいのでは? なぜ福島県内で避難するのでしょうか?」という問いには
・福島県(東北地方)の人々は郷土意識が強い
・浜通りの人は、同じ浜通りで比較的線量の低いいわき市に行く人が多い
というところから発展して
・いわきの人口が増えて軋轢もあるようだ
・ある市では、市民と、他町からの避難者との間で、ごみ分別の違いをめぐってトラブルが起きている。ちょっとしたことだが、その底にあるのはお金をめぐる分断
・賠償金をもらってもパチンコに使ってしまう人がいる、という批判があるが、家族も仕事も失くして孤独な人は、せめてパチンコくらい行きたいのではないか。
・国や東電は人々の分断を利用している。敵を間違わないでほしい。
などのご意見が出ました。

また、「子どもと教科書全国ネット21」で活動しておられる参加者からは
「子ども達の使う教科書にも安全神話が載っています。子どもと教科書の問題にも目を向けて、それぞれの地域での教科書採択に興味を持ってみてください」
という呼びかけがありました。

最後に監督がまとめてくださいました。
当事者意識を持ちましょう。被災地の方々は、過去の傷を治す、後ろ向きの活動に時間を取られています。やることのない人々がたくさんいます。我が身のこととして何ができるのか考えてほしいです。

舩橋淳監督、お忙しい中貴重なお話をしてくださり、ありがとうございました。続編に期待しています。またどうぞ谷中の家にいらしてください。

終わりの頃には、外から雨の音が聞こえてきました。
カフェは3:00過ぎに終わり、30分の休憩と模様替えをして、3:30から5:10頃まで2回目の上映を行いました。今回は英語字幕版。小さいお子さんの参加もありました。

上映終了後にはまた続編の予告が流れ、おひらきとなりました。そのまま渋谷の宇都宮×井戸川対談へと急ぐ方、監督の本や、監督が寄稿した「DAYS JAPAN」を購入される方。
ドキュメンタリー・カルチャー・マガジン「neoneo」http://webneo.org/ や、
おちゃっぺ米(双葉町からの避難者の方が埼玉で作られたお米)を手に取られる方……。おちゃっぺ米についてはこちらhttp://311.yanesen.org/archives/1422

雨足はだいぶ強くなっていました。このようなお天気の中、足を運んでくださった参加者の皆さま、本当にありがとうございました。

今回は、予約のお問い合わせをいただいても満員でお断りした方が何人もいらっしゃいました。申し訳ありませんでした。
「フタバから遠く離れて」の今後の首都圏での上映予定は
4/20~26 横浜のシネマ ジャック&ベティ
5/12 練馬・関区民ホール/光が丘区民ホール など。
詳細はhttp://nuclearnation.jp/jp/の上映情報をご覧ください。

舩橋監督の次回作は、4月13日から公開の「桜並木の満開の下に」。茨城県日立市で撮影されました。被害者と加害者のラブストーリーとのことです。ぜひご覧ください。
http://www.office-kitano.co.jp/sakura/index.html(公式HP)

今回いただいたアンケートより、ほんの一部ですが抜粋いたします。(舩橋監督にはすべての感想をお伝えしました)
・被害にあった方の肉声に触れられたのが貴重だった。淡々と個人を写しているようで、しかし日本のシステムが浮かび上がってくる不気味さを感じた。(映画について)
・よく考え抜かれたお話とっても納得しました。とにかく知ること、ともに考えること 誰かを悪者にするのではなく、次の時代を作っていくことの必要性を感じました。(監督トークについて)
・それぞれの立場からの福島への思いが聞けてよかった。(政治・歴史なども踏まえた)特に福島出身の方の話は胸に迫った。(交流カフェについて)

月1原発映画祭はおかげさまで、12回(1年間)続けることができました。2年目からは更に充実した内容とするためにも、少しペースダウンして開催することになりました。
奇数月を陰祭と呼び、スタッフの勉強の場とさせていただきます。(スタッフ希望の方は参加できます)
偶数月は本祭と呼び、今までと同じような映画祭となります。
なので、次回は6月1日(土)が本祭となります。
詳細は決まり次第、ひがし広場のHPにアップいたします。
どうぞこれからも月1原発映画祭をよろしくお願いいたします。
なお、一緒に活動していただけるスタッフを随時募集中です。興味のある方は、ひがし広場のお問い合わせ欄よりご連絡ください。

最後になりましたが、今回も交流カフェ時にカンパをありがとうございました。カフェ経費をのぞいた16000円の使い道は、現在舩橋監督と相談検討中です。(文責:こばやし)

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