2012年11月24日「フタバから遠く離れて」1日リレー上映会〜あなたのとなりのフタバ〜ご報告

「フタバから遠く離れて」1日リレー上映会は、谷中コミュニティセンターを皮切りに谷根千「記憶の蔵」JAZZ喫茶「映画館」の3つの会場を順にめぐり、総数150名あまりの方々にご来場いただきました。舩橋淳監督も谷中から千駄木、白山へと自転車で1日つきあってくださり、それぞれの会場の味が出た会となりました。

★この上映会に向けて、双葉町の井戸川克隆町長からメッセージをいただきました(PDF)

■■■@谷中コミュニティーセンター・大広間■■■

●13:30 開場

36畳+舞台付きの大広間が、にわかシアターに変身! 
定員を超えて約90人、何とか皆さんに座っていただくことができました。

●14:00 開会~上映
舩橋監督の挨拶に続いてゲストのおふたり、双葉町から避難されている北原保洋さんと亀屋幸子さんをご紹介して、上映開始です。

[映画]東京電力福島第1原発事故後、双葉町は町全体が警戒区域となり、1423人が約250キロ離れた埼玉県加須市の旧騎西高校に避難、地域社会丸ごとの移転という前代未聞の事態となりました。避難を余儀なくされて生活が一変した双葉町の人びとの避難所における日常を記録したドキュメンタリーです。
避難生活のひとこま、ひとこまの合間に語られる双葉町の人びとの思い。井戸川町長が憤りと自責の念を込めて語る言葉。故郷に一時帰宅をした人びとの緊迫感、そして喪失感のただよう風景。東電担当者や政治家たちのおざなりな対応ぶり。双葉の方々の生の言葉と淡々とした映像が静かな迫力をもって語りかけてきます。
みなさん、どう受け止められたでしょうか。

●15:40 休憩
大広間の向かいの和室では、舩橋さんの著書『フタバから遠く離れて-避難所からみた原発と日本社会』〈おちゃっぺ米*〉の頒布、協賛グループのグッズや資料の展示をしました。お茶とお菓子のサービスも。

*〈おちゃっぺ米〉は、本日のゲストの北原さんが騎西高校の近くの休耕田を借りて作られたお米です。「谷根千・駒込・光源寺隊、ふくしま・いわき・応援団」が〈おちゃっぺ米〉と名づけて販売協力することになりました。北原さん(写真)が今回お話に来てくださることになったのもそのご縁。谷中会場では予約参加者に試食用をプレゼントしました。

詳細はこちら → http://311.yanesen.org/archives/1330#more-1330

●15:50 トークショー
休憩が終わって、まずは舩橋監督のお話です。

《舩橋監督のお話の概要》

僕は実はこの会場の近所に住んでいます。前作の「谷中暮色」をまさにこの場所で上映会しました。今日、またここでお話する機会が持ててとても光栄に思っています。
この映画は2011年4月から12月までを第1部として、今も撮影が続いています。
9か月にわたる撮影で300時間カメラを回し、最初それを11時間に編集しました。最終的には劇場公開のためにやむなく現在の96分にしましたが、この映画を観ることで避難所に流れる時間を疑似体験してほしいという意図を込めています。
この映画を撮り続ける大きな原動力になったのは、東京の電気が福島でつくられていたこと、しかも事故で避難を余儀なくされるのが、電気の消費者である自分たちではなく福島の人びとであったということです。この事実をどう受け止めて、自分はどうしたらよいのか?この答えがわかるまで、電気を消費してきた僕と、電気を生産してきた双葉の方々の対話を記録しようと思いました。
映画にして世に問うことを決意したのは、2011年12月16日、野田首相が事故収束宣言をした日です。事故の解明も終わっていないどころか、いまだに避難所生活でお弁当の毎日を続けている人びとがいて、被害の賠償さえ決まっていない状態でそれはないだろうと思ったのです。奇しくも今年の12月16日は都知事選と衆院選の投票日。本当に国民の命を守ることを最優先に考えている人は誰か、見極めたい。
原発はもともと国の政策として、都市部ではなく人口の少ない地方につくられています。もとから原発は犠牲を強いるシステムであったということです。それを決めた国が悪いと言うことはできますが、我々も犠牲を強いるシステムによりかかって電気を使っている以上、我々に責任はないと言えるのか。我々は原発事故の当事者である。そのことを一人でも多くの人に考えていただきたいと思っています。
3会場の舩橋監督のお話をまとめました(PDF)

続いて、ゲストの北原保洋さんと亀屋幸子さんにお話をうかがいました。
北原さんは一時避難所となった埼玉アリーナから騎西高校へ。現在、騎西高校の近くの田んぼを借りてお仲間と一緒にお米を作っておられます。亀屋幸子さんは、ご主人と一緒に車で逃げて、最終的に東京の借り上げ住宅へ。おふたりとも「フタバから遠く離れて」をご覧になるのは今回が初めてということでした。映画の感想、現在の生活のこと、東京の方たちに伝えたいことなど舩橋監督の司会でお話をうかがいました。
北原さんと亀屋さんのお話をまとめました(PDF)

●16:50 閉会
予定時間をだいぶ過ぎてしまい、参加者に発言していただく時間を充分取れなかったのが残念でしたが、ひとまず閉会としました。
会場の谷中コミュニティーセンターは「防災コミュニティ施設」として建て替えられるために、この日をもって閉館です。子どもからお年寄りまで、長年地域の方々に親しまれてきた区の施設です。本日も館内を子どもたちが走り回り、お隣の和室では定例のお茶の教室が開かれていたのですが、寄せられたアンケートでもこんなコメントをいただきました。「子どもはいるし、話をする人もいて、はじめは少しとまどった。そして、気づかされました。こんな環境でフタバ町の人々は生きなくてはならないんだという現実に…(後略)」
リレー会場の1つにあえてここを選んだのは、まさに「避難所になるかもしれない場所で地域の方々と観ること」にこだわったからでもあります。上映環境としてベストではなかったことは申し訳なく思いつつ、会場内に町内の方々の顔を見つけることができたのは嬉しいことでした。

■■■@谷根千「記憶の蔵」■■■

●17:00 開場
2番目の会場、谷根千「記憶の蔵」は大正時代の蔵を補修して、谷根千工房と映画保存協会がフィルムやビデオの上映会などに活用しています。谷中会場からのスタッフが到着した時にはすでに満席。舩橋監督と北原さん、亀屋さんも何とか開会前に滑り込みました。

●17:30 開会
ここのプログラムでゲストのおふたりが帰られるので、お話を上映前にお願いしました。

亀屋さんは、震災直後のこと、そして着の身着のままで、玄関にあった3000円をつかんで家を出て以来、4月に浜松町の借り上げ住宅に入居するまでの体験、寒くて物がなくて苦労の連続だったこと、避難先で男物の下着を着るしかなかったことなど、大変リアルに語ってくださって、参加者のみなさん話に引き込まれていました。まわりの人びとに助けられ励まされてきたことへの感謝の気持ちも率直に語りつつ、「私たちはふるさとに帰りたくても帰れないんです。こんなつらいことはもう福島の人たちだけで終わりにしたいんです。私が味わった地獄のような辛さをみんなに味わわせたくないの」「原発の再稼働には絶対に反対してください」と涙まじりで訴えて結ばれ、会場から大きな拍手が湧き起こりました。亀屋さんは毎週官邸前や東電に訴えに行っておられます。
(亀屋さんのお話の詳細はご本人に確認していただいたうえで後日アップの予定です)

北原さんは、福島の広野火力発電所が運転再開が可能になったことにふれて、原発を動かさなくても電気は足りると強調されました。今回の事故で北原さんもいまだに家などについて賠償を受けていません。原発に頼るのはもうやめなければというお話に、客席でうなずく方が多くいらっしゃいました。

●18:00 上映
上映前にスタッフから避難経路についての説明があり、さて上映となったとたんにグラッと大きな揺れが…。千葉県沖が震源の震度4の地震でした。びっくりです。予定を少し遅れて上映開始。

●19:40 休憩
この休憩時間中に北原さんのお米、1kg入り26袋が完売しました。舩橋さんの著書もこちらで用意した20冊は売り切れ、千駄木の書店、往来堂さんがあとを受けて販売に来てくださいました。ここでも地域のリレーが…。

●19:50 トークショー
舩橋監督から、ここでは井戸川町長をめぐるエピソードがたくさん語られました。

3会場の舩橋監督のお話をまとめました(PDF)
客席からは「騎西高校でお刺身を食べるシーンが3か所出てくるが、海のない埼玉でお刺身を食べるというのは何だか切ない。あのシーンには何か意図があるのか?」という福島出身の方からの質問がありました。舩橋監督の答えは「皆さん、お刺身がお好きで、自然にそういう場面が多くなったということだと思う」。これについては客席にいらした双葉から避難中の方から「双葉やその近辺の人たちは今まで魚を食べて生きてきたので、刺身を食べるとスカッとする、ストレスから解放される」とのコメントがありました。この方も騎西高校に1か月おられたことがあり、現在は渋谷の借り上げ住宅で暮らしているということでした。今もっとも気がかりなこととして「東京電力も国も、風化して静かになるのを待っているという気がする。甘えるつもりはないけれど、皆さんには事故を風化させないようにお願いします。この映画はもっと大きなところで上映してほしい」と結ばれました。

●20:40 まだまだ続く…
終了予定は20時でしたが、客席とのやりとりが続く中、ついに舩橋監督だけ残して、スタッフは次の会場へ。JAZZ喫茶「映画館」は蔵から西へ約1キロ、DVDを持ってひたすら自転車を走らせました。

■■■@JAZZ喫茶「映画館」■■■

JAZZ喫茶「映画館」はマスターがもともと映画制作出身の方、昨年の震災以降、店での映画上映会を再開したそうです。テーマ性の高い作品上映、レアなトークショーなどで、ジャズファンの方に限らず幅広くお客さんの縁がつながっている、とてもオープンなお店です。ここでも定員を超えて30人近い方々が入場されました。

●21:00 開会
舩橋監督がぎりぎりで到着。挨拶のあと、本日最後の上映が始まりました。

●22:50 トークショー~ディスカッション
舩橋監督にとっては本日3度目のお話。だんだん問題の核心に迫る濃密な内容になっていったように思います。原発がいかに「不平等な犠牲を強いるシステム」であるか、力を込めて語られていました。                
3会場の舩橋監督のお話をまとめました(PDF)

その後、参加者からの「東京は加害者でもあるが、放射能汚染の点で被害者でもあるといえるのではないか」という発言から、原発立地地域の「自業自得論」をめぐって熱いディスカッションとなりました。
ディスカッションの一部を抜粋しました。

このほか、原発や核の問題をどうしたら子どもたちや関心の薄い若い人たちに伝えられるか、芸術はどんなことができるかという問いもありました。正攻法では見向きされない、かといって娯楽作品に仕立てると肝心のテーマが埋もれてしまうというジレンマ。これを解決するのにどういう方法があるのか、「皆さんもぜひ考えてほしい」との監督からの投げかけで、本日おひらきとなりました。

●23:45 閉会
長い長い1日でした。
「フタバから遠く離れて」というタイトルには、遠く離れた町に避難を余儀なくされている双葉町の人びとのことと、福島でつくられた電気を遠く離れたこの東京で使っている私たちのこと、ふたつの意味が込められていると舩橋監督は語られていましたが、このふたつの立場をつなぐ役割を果たそうとしている監督の思いを多くの方が受け止めたことと思います。地元の方々はじめ遠くから足を運んでくださった方々、そして双葉町はじめ南相馬市など福島県内各地から避難中の方々とこの時間を共有できたことを心から感謝します。参加者の皆さま、開催にご協力くださったたくさんの皆さま、ありがとうございました。
★当日寄せられたアンケートから(PDF)


追記:おかげさまで3会場通じて収益が出ました。もっとも有効な使いみちは?と検討を重ねた結果、この映画をさらに多くの人に観ていただき、考え、語り合うために使おうと決めました。2013年4月6日(土)、今度は「谷中の家」での開催を予定しています。まだご覧になっていない方、もっと話を聴きたい方、語りたい方、ご参加お待ちしています。

→第12回月1原発映画祭+交流カフェ

舩橋淳監督を迎えて「フタバから遠く離れて」アンコール上映

(うえまつ)

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